OKPのノート

日記を書きます

M1 MacBook Air(或いはM1 Mac mini)を買うべきか迷っている

私も迷ってます。
M1 MacBook Airを買わなきゃよかった説 - HHS

発売されるやいなやその高性能ぶりで話題沸騰のApple M1チップ搭載マシン。MacBook AirMac miniの下位クラスでも相当に凄いらしい……。近い将来にデスクトップPCの買い替えを控えていた私にとっても気になりすぎる存在です。

先日、メインのブログでレビュー記事を書いたMac用メンテナンスソフトの「CleanMyMac X」にも頑張って貰っているものの、相変わらず突然のフリーズが頻発している私のiMac。さすがにもうクリーンインストールから環境を作り直す気力も失せました……。
Mac用メンテナンスソフト「CleanMyMac X」使って1ヶ月、効果はどうだった!?【PR】 - I AM A DOG

①:手っ取り早いのがM1 MacBook Airを購入して、現在サブディスプレイにしているEIZO FlexScan EV2450を繋ぐ。とりあえずの2画面体制はキープされますが、今より2画面での解像度がかなり下がってしまうので、後日メインのディスプレイに27インチクラスの4Kディスプレイを買う必要がありそう。MBAと両方まとめるとご予算的にやや厳しい気もするけど、まあなんとかなるか。
どちらかといえば、現在iMacに繋いでる複数のSSD、HDDをMBAにぶら下げることが不安です……。

②:或いは M1 Mac miniを買って、EV2450と並べて違和感なさそうなEIZO EV2451でも買い足しての2画面。無難ではあるけど無難。ただし2画面といっても1080pでLightroom Classicのメインウィンドウを表示するのはテンションが上がらない気もする。せめてBENQ SW240でWUXGAか(たいして変わらんが……)。

③M1 iMacの登場を待つ。

ディスプレイまで買い換えることを視野に入れて①が良い気もするし(MacBook Air 2020を8月に買ったばかりなのも引っかかりつつ……)、デスクトップ機として使うならMac miniの方が電源やら接続端子周りでも安心感があるよなぁ……とも。できればディスプレイもWQHD以上を2枚にしたいものの、設置するデスク(机)の側が現状のままだと難しい問題(デスク幅90cm、はみ出して120cm程度が今の限界)。

デスクを広いものに変えてしまうと今度は周辺の楽器(シンセサイザー)やモニタースピーカーの置き場所も変更するなど雪崩のように課題が発生して、部屋のレイアウトを丸ごと見直して、家具の買い替えまでとなると、手間も予算も未知数なのが恐ろしい。
改めてYAMAHA MSP3のPC用スピーカーとしての“丁度よさ”を再評価してみたい - I AM A DOG

なんなら背後にそびえている巨大なCDラック(中身を聴いた記憶が長らくない……)の処遇も考えた方が良い気がしますし、PC環境が少し快適になれば良いだけなのに、数千枚のCDの処分(取捨選択)までは考えたくない。

……なんて感じで、ぐるぐるとループしてる頭の中を書き出してみたら、少し整理されたかも。
こんなことを書いてる間にもiMacは見事にフリーズしてみせたので、何にせよ早急に決めます。

動画を撮らないから見ないのか、見ないから撮れないのか?

今やネットでの発信において、欠かせないメディアとなった動画。最近はYouTubeでの動画発信に熱心なブロガーも多く、未だテキストのみでの発信を続けている自分のようなブロガーはやや時代遅れの感もあります。

動画に全く興味がない訳でもなく、発信はしないまでも旅の記録が写真ばかりなことを「勿体ない」と思うことも増えてきました。昨年行ったネパールのトレッキング旅などせっかくスマートフォンがあったのだから、もっと動画を撮っておけば良かったと、後悔があったりなども……。
もう少し動画に前向きになるべきだと、少し前にはDJIのOsmo Pocketを買ってみたりもしたのですが(セールになってたのでそろそろ新機種が出るのだろうな……と思いつつ買ったら本当にすぐ出た)、結局一度だけ旅行で使ったきりで(その際も録画時間はトータル2分程度?)、気がつくと持ち出すことすら忘れている始末。これだけスマートフォンで誰でも気軽に動画が撮れる時代だというのに、どうにも動画に対するモチベーションが低いのです。

そんな自分はそもそも動画を見るのが苦手な方。
映像作品を見られない訳でなく映画だってアニメだって見るし、ドキュメンタリー作品も大好きです。好きなアーティストの動画などはしょっちゅうYouTubeで見て、貴重な作業時間を大量に食いつぶしています。
要はYouTuber的な動画だったりVロガー、VLOG動画をじっと見ていられない(もちろん全てではありません)。これは動画のクオリティや編集の話ではなくて、どれだけハイクオリティな動画にしてもじっと見ている行為がつらい。興味のある内容だったり、最初から度内容が担保されているなら見るのですが、それでも気づくと早送りしていたり……(逆に気に入れば同じ動画を何度も見たりもする)。そういえばニコニコ動画(の素人投稿系)もあまりハマりませんでしたっけ。
テキストだったら少々文章が稚拙であろうと読もうと努力できますし、そのことにストレスは感じません(文章の酷い商業メディアには滅びて欲しいと思ってますが……)。動画ってテキストのような拾い読み、流し読みができず、著しく検索性が悪いんですよね。
今見ている動画の中に求めている情報が含まれているのか分からぬまま、早送りや、再生バーのドラッグを繰り返しつつ動画を見る行為のストレス。VLOG系の動画に中身(情報)を求めてしまうことがそもそも間違ってるのかもしれませんが、エンタメと割り切って見るにしても動画視聴はハードルが高い。特に視聴時間を自分でコントロールできないこともストレスで、10分を超える動画だとまず見ることを放棄してしまいます。インデックスがあれば要点のみを先に見てから全体を見るか判断しますが、結局は要点の周辺情報を文字情報のように俯瞰できなかったりします。

なんてことを考えていると、自分がここまで動画を見られないのには、動画を撮る習慣がないことも大きいのかも?
人の写真を見ることや写真技術を気にするようになったのも、自分が写真を撮るようになってからのこと。自分が積極的でない動画だけに、見ることにも関心が薄いのかも。動画を撮らないから見ないのか。それとも、動画を見る習慣がないから自分が撮ることにも関心を持てないのか……? 鶏が先か卵が先かみたいな話ではりますが、いちブロガーとして動画に対するモチベーションが低いことにはずっと危機感を感じています。ほんとどうしたものだろう……。

日記用のブログを作ってみた

気まぐれに新しいブログを作ってみました。

テキストのみの日記はnoteがあったのですが(8記事しか書いてないけども)、UIがあまり肌に合わなかったり、最近の運営元のあれやこれもあってすっかり更新意欲を失ってしまいました。
note.com

noteで書いてた記事を全て移すことも考えたのですが(散々言われてるのにエクスポート機能を付けないイヤラシさなどもあまり好きになれません)、そもそも大したことも書いていませんし、noteというプラットフォーム自体には素晴らしい書き手の方や記事も多いので、閲覧目的にアカウントも残してくことにしました。そのうち気が変わってまたnoteで書きたくなるかもしれませんし……。

テキスト日記自体は毎日色々と書きたいネタが思い浮かんではその都度メモをしていたりするのですが、別に表に出さなくてもいいか…… と思っているうちに、更新する気もなくなってしまうことばかりです。そんな人に見せるつもりもない自分用ノートを気軽に書ける場所になればいいですし、見てもらえるならそれはそれでやっぱり楽しくなるのかもしれません。

メインのブログを書くことは相変わらず楽しいですしモチベーションが下がっている訳ではありませんが、いつの頃からか「この程度の内容では記事にする程ではないかも?」と自分の中でハードルを作ってしまった所があります(と言いつつ気の抜けた記事もよく書いてますが)。特に2〜3年前まで今思えば少々異常に読まれていた時期が何年間かあって(殆どがGoogleからの流入でしたが)、その頃に少し自意識過剰になってしまったのか、そんな波はとっくに落ち着いた今にになってもブログに書いているネタをより好みしてしまうクセが抜けてないようです。

ツイッターではこんなことをうそぶいたりしているものの、色々と見えない縛りを作ってしまっているのが(それはそれで悪いことではないと思ってます)今のメインのブログの状態。改めて少し別の場所でもっと好き勝手に書いてみたいなと、このブログを作ってみました。気まぐれなので次の記事すら書かない可能性もありますし、明日にはこのブログ自体が消えているかも……?
何にせよ場所がないことには、何も書きようがありませんし、ひとまず場を作った次第です。

新型コロナ表記を迷うブログ書き【note】

(2020/08/27のnoteより転記)
未だ収束の見通しがつかない新型コロナウイルス感染症の流行ですが、日々のあれこれを書き残している我々ブロガーにとっての懸案が、この目下の感染症についてテキストでどう表記するか問題。
深刻な感染症の流行であると同時に日常であり(それに伴う)社会現象でもあり、使わない訳にはいかないものの、できれば軽々しい言葉にしたくない気持ちも。
毎度、「新型コロナウイルス感染症により〜」「新型コロナウイルスの感染拡大で〜」と表記するのもそれはそれで大げさな感じですし、当初何度かブログ使ってみた「COVID-19」もいまいちピンと来ない。一般人なので「コビッド」とか声に出して使ったこともないし……。
こちらも何度か使った「コロナ騒動」ですが、「米騒動」みたいというか、ワイドショー的な響きで既に書き換えたい気分がします(個人の感想です)。

実際「コロナ」だけでも文脈によっては伝わるものの、どうにもエアコンぽさがあるし、その他のコロナウイルスとの差別化ができない。いや、その他のコロナウイルスについて私がブログで語ることもない気はしますけども。
数年後にブログを読み返してもおかしな表記をしていたと後悔するようなことなく(「コロナのアレ」とか「コロちゃん」とか絶対やめておいた方がいいと思うぞ!)、なるべくならシンプルな表現を使いたいものだなと。

マスメディアも当初は表記が揺れていたようですが、いつの頃からか(略記に関しては)「新型コロナ」に統一されてきているようなので、我々一般ブロガーもそれに習うのが無難かもしれません。
実際「新型コロナ」だけではウイルスのことを指しているのか、感染症自体を指しているのか、感染症の流行(現象)を指しているのか微妙ではあるものの、全ての用法で使えるワイルドカード的な利便性。「新型コロナの拡大により〜」「新型コロナの影響もあり〜」「新型コロナで○○中止になり〜」…… 前後に色々な言葉が略されているのは感じるものの、それなりに伝わるし言葉としての暗黙の了解のようなものを感じまう。

後は「新型コロナウイルス感染症の流行による災難(や社会的影響)」を表す言葉として、こちらもメディアを中心に市民権を得ている「コロナ禍」。
どちらかというと「新型コロナの影響下」という意味合いで「コロナ禍」よりも「コロナ下」っぽい用法で使われていることが多い気もしますが、特に大きな間違いでないというか、ポジティブな文脈で使われる言葉ではないので、用法として成立してしまってますね。私自身も「新型コロナ拡大の影響で」ぐらいの意味合いで使っていることが多い気もします。
もう少し正確性を期すために「新型コロナ禍」にすると…… やっぱり変ですね。

……なんてどうでもいいことばかり考えてブログがあまり捗らない夏の日です。そろそろ遠くにお出掛けしたい。

見知らぬ人の動画に自分が映りこんでいた話【note】

(2020/03/18のnoteより転記)
先日、Twitterのタイムラインに流れてきたYouTubeの登山動画を見たところ、自分と妻が山に登った同じ日、同じ場所のもので、なんとその動画の中に何度も自分たちの姿が映りこんでいました。同じようなタイミングで歩いていた方だったようで、恐らく抜きつ抜かれつ、数度にわたって自分たちが山を歩いたり写真を撮る様子が映っていました。
(ちゃんと確認はしていませんが、恐らく私が撮っていた写真には、その動画を撮られていた方の姿が写っていたことだと思います)。

ウェアラブルカメラ的な機材で撮影していたのでしょうか。私自身、近くで動画を撮っていた方を見た記憶はありませんし、そこには全く動画に映っていることを意識していない自分たちの姿がありました。風の強い日の雪山だったこともあり、バラクラバやゴーグルで顔を覆っていて、幸い私のアホ面が映ることは殆どなかったものの、なんとも面白く、そして少し恥ずかしいような、居心地の悪い気持ちにもなりました。写真撮影に夢中になってうっかり後続の邪魔になる自分の姿が写っていなければいいなとか(仮の話です)、下手くそな足運びやピッケルワークが映ってなければいいなとか、つい無愛想な挨拶をしてないか…… なんてドキドキハラハラしつつ。

私自身も動画ではありませんが、山や観光地ではよく写真を撮っているので不可抗力的な写り込みが発生することは普通ですし、それをネットで公開する際に「この程度なら大丈夫だろう(これは止めておこう)」的な判断をすることはよくあります。
今回の動画に自分が映っていたことには何も不満はありませんし、映り込みとしても全く問題ないレベルだと思います。それでも自分を含めて、見る人が見ればすぐ個人特定できる姿が、見知らぬ人の作品に映っていたことに、なんとも言えない気持ちになったのは事実(あまりにドンピシャなタイミングに、笑ってしまったのが半分以上ですけども)。

昨今の動画ブームを考えると、今後は登山中に限らず、観光地や街中でも動画を撮ってネットにアップする人は増えると思いますし、今まで以上に思わぬ映り込みが発生することになるでしょう。
今回はそのことについて何か意見を述べたい訳でなく、自分が知らずのうちに映っていた動画を見た際の、面白くも少しくすぐったい気持ちの確認として、このnoteを書いてみました。
きっと、これまで私が書いて来たブログの写真を見て、同じような思いをされた方はいるのだと思います(実はつい最近も初対面の方から「OKPさんのブログ写真に写ってたことがあります」と告白されたばかり……)。
そのことに気付くにはあまりに無頓着だったかもしれないと少々反省をしつつ、今後の撮影、アップする写真についても考えて行きたいと考えています。

余談ですが、同じ日の山行ではブログ読者の方から、何度か個人特定されて声を掛けて貰ってます。最近は慣れてきましたが、元々あまり社交的な方ではありませんし、山でも常に愛想がいいとは言えない私。映りこみなんて気にする前に、もっと気にすべきことがあるのかもしれません……?

今や小型ミラーレスもコンデジすら存在感は小さくない?【note】

(2020/03/18のnoteより転記)
「威圧感のないカメラ」
小型のミラーレスカメラやスナップシューター系のコンデジの宣伝文句の1つとして、割とよく使われる表現です。
確かに従来の一眼レフカメラやファインダーを内蔵した中型ミラーレス機と比較したら、それらのカメラはサイズは小さいですし、大きなカメラより小さなカメラの方が、存在感が小さいことは事実です。
言い換えれば威圧感を与えにくいカメラなのかもしれません。

しかしながら、現在のカメラの主流は圧倒的にスマートフォンガラケーカメラの時代を経て、人々の感覚は「スマホを向けられたら写真(や動画)を撮られているかもしれない」といったものになっています。
そんな感覚からすれば、スマートフォンより大きく存在感のあるミラーレス機も一部のコンデジですら決して目立たないカメラではありません。むしろ特別な存在感。

少し前のこと、よく訪れている飲食店にて、毎回パナソニックのGX7MK2を使って料理の写真を撮っていたところ、顔なじみの店の方から「大きなカメラのお兄さん」と認知されていたことがありました。私個人としては持っている中では最も小さく、目立たないカメラを使っていたつもりですが、お店の方からはそう見えていなかったようです。
その人も写真はスマートフォンでしか撮らないと仰ってましたっけ……。

今やカメラが小さかろうと、スマホだろうと、不躾に人にカメラを向けることが許される時代ではありませんが(昔だってそうだったはずですが)、小さなカメラを使うことで何かしらの免罪符があると感じてるならば、そんな感覚は少しアップデートしてもいいのかもしれませんね。

そのカメラ、意外と目立っているかも。

ブログを書いてみたいと言いながらまだ書いてない人【note】

(2020/02/06のnoteより転記)
長年ブログを書いているせいか、たまに「私もブログやろうと思ってる」「何を書けば良いのか分からない」など、相談のような雑談になることがあります。後はここ何年かで増えたのは、「ブログで収益化したい」とか「お小遣い稼ぎしてみたい」といったもの。

その場では一般論的なアドバイスや自分の経験を語ったりもするのですが、相手によってはもう少しストレートに伝えることもあって、それは「やりたいと言いつつ、まだやってないならそもそも向いてないのでは?」という身も蓋もないもの。
今はやりたければ人にアドバイスなんて求めなくても、いくらでも無料でブログなんて始められますし(オススメは「はてなブログ」だよ)、このnoteにしても最初に自己紹介的なエントリを書いてから、ものの5分で公開することができました。それぐらい「書いて発表する」行為はハードルが低くて、その気になれば誰にでもすぐできること。

ブログ以前の20年前からネットにアレコレを垂れ流し続けてきた人間のひとりとして思うのは、例え自分が何者でもなくても、文章が(写真が)上手くなかろうと、何かを書きたい(伝えたい)という衝動はそう簡単に抑えられるものではないということ。
「ブログをやりたいから何か探して書く」ではなく、「そもそも書きたいことがあって、“たまたま”ブログという手段があったに過ぎない」のですよね。

ブログ(ネット)ってそもそもそんな人だらけの場所ですし、そんな中で伝えたい欲求のない人が後から参加して、あまつさえは収益化とか小遣い稼ぎしたいといっても、さすがに難しいのでは?と(もちろんそれは個人の自由です)。
最初から収益を目的に始めるブロガーも今は多いのかもしれませんが、それこそ完全に「仕事」ですし、モノになるかの可能性を考えたら、下手なアルバイトよりも困難な道のりではないでしょうか。

書き続けることの適性はもちろん、サイト構築やSEO、各方面の知識まで考えたら、小さな事業をいちから起こすようなもの。しかもその先は、同じ目的を持つ多くのライバルに、収益なんて見向きもせずに書き続けずには居られないおかしな人間(失敬)たちがウヨウヨいる土俵なのですから。

書きたいことがあったら、まず気軽に始めて見る。続けられそうなら、可能な範囲で続けてみる。その中で適性のある人が収益化されることもある。それぐらいに捉えていた方が気楽だと思います。
一般論にするつもりはありませんし、あくまで私の認識ですけども。