OKPのノート

日記を書きます

新型コロナ表記を迷うブログ書き【note】

(2020/08/27のnoteより転記)
未だ収束の見通しがつかない新型コロナウイルス感染症の流行ですが、日々のあれこれを書き残している我々ブロガーにとっての懸案が、この目下の感染症についてテキストでどう表記するか問題。
深刻な感染症の流行であると同時に日常であり(それに伴う)社会現象でもあり、使わない訳にはいかないものの、できれば軽々しい言葉にしたくない気持ちも。
毎度、「新型コロナウイルス感染症により〜」「新型コロナウイルスの感染拡大で〜」と表記するのもそれはそれで大げさな感じですし、当初何度かブログ使ってみた「COVID-19」もいまいちピンと来ない。一般人なので「コビッド」とか声に出して使ったこともないし……。
こちらも何度か使った「コロナ騒動」ですが、「米騒動」みたいというか、ワイドショー的な響きで既に書き換えたい気分がします(個人の感想です)。

実際「コロナ」だけでも文脈によっては伝わるものの、どうにもエアコンぽさがあるし、その他のコロナウイルスとの差別化ができない。いや、その他のコロナウイルスについて私がブログで語ることもない気はしますけども。
数年後にブログを読み返してもおかしな表記をしていたと後悔するようなことなく(「コロナのアレ」とか「コロちゃん」とか絶対やめておいた方がいいと思うぞ!)、なるべくならシンプルな表現を使いたいものだなと。

マスメディアも当初は表記が揺れていたようですが、いつの頃からか(略記に関しては)「新型コロナ」に統一されてきているようなので、我々一般ブロガーもそれに習うのが無難かもしれません。
実際「新型コロナ」だけではウイルスのことを指しているのか、感染症自体を指しているのか、感染症の流行(現象)を指しているのか微妙ではあるものの、全ての用法で使えるワイルドカード的な利便性。「新型コロナの拡大により〜」「新型コロナの影響もあり〜」「新型コロナで○○中止になり〜」…… 前後に色々な言葉が略されているのは感じるものの、それなりに伝わるし言葉としての暗黙の了解のようなものを感じまう。

後は「新型コロナウイルス感染症の流行による災難(や社会的影響)」を表す言葉として、こちらもメディアを中心に市民権を得ている「コロナ禍」。
どちらかというと「新型コロナの影響下」という意味合いで「コロナ禍」よりも「コロナ下」っぽい用法で使われていることが多い気もしますが、特に大きな間違いでないというか、ポジティブな文脈で使われる言葉ではないので、用法として成立してしまってますね。私自身も「新型コロナ拡大の影響で」ぐらいの意味合いで使っていることが多い気もします。
もう少し正確性を期すために「新型コロナ禍」にすると…… やっぱり変ですね。

……なんてどうでもいいことばかり考えてブログがあまり捗らない夏の日です。そろそろ遠くにお出掛けしたい。

見知らぬ人の動画に自分が映りこんでいた話【note】

(2020/03/18のnoteより転記)
先日、Twitterのタイムラインに流れてきたYouTubeの登山動画を見たところ、自分と妻が山に登った同じ日、同じ場所のもので、なんとその動画の中に何度も自分たちの姿が映りこんでいました。同じようなタイミングで歩いていた方だったようで、恐らく抜きつ抜かれつ、数度にわたって自分たちが山を歩いたり写真を撮る様子が映っていました。
(ちゃんと確認はしていませんが、恐らく私が撮っていた写真には、その動画を撮られていた方の姿が写っていたことだと思います)。

ウェアラブルカメラ的な機材で撮影していたのでしょうか。私自身、近くで動画を撮っていた方を見た記憶はありませんし、そこには全く動画に映っていることを意識していない自分たちの姿がありました。風の強い日の雪山だったこともあり、バラクラバやゴーグルで顔を覆っていて、幸い私のアホ面が映ることは殆どなかったものの、なんとも面白く、そして少し恥ずかしいような、居心地の悪い気持ちにもなりました。写真撮影に夢中になってうっかり後続の邪魔になる自分の姿が写っていなければいいなとか(仮の話です)、下手くそな足運びやピッケルワークが映ってなければいいなとか、つい無愛想な挨拶をしてないか…… なんてドキドキハラハラしつつ。

私自身も動画ではありませんが、山や観光地ではよく写真を撮っているので不可抗力的な写り込みが発生することは普通ですし、それをネットで公開する際に「この程度なら大丈夫だろう(これは止めておこう)」的な判断をすることはよくあります。
今回の動画に自分が映っていたことには何も不満はありませんし、映り込みとしても全く問題ないレベルだと思います。それでも自分を含めて、見る人が見ればすぐ個人特定できる姿が、見知らぬ人の作品に映っていたことに、なんとも言えない気持ちになったのは事実(あまりにドンピシャなタイミングに、笑ってしまったのが半分以上ですけども)。

昨今の動画ブームを考えると、今後は登山中に限らず、観光地や街中でも動画を撮ってネットにアップする人は増えると思いますし、今まで以上に思わぬ映り込みが発生することになるでしょう。
今回はそのことについて何か意見を述べたい訳でなく、自分が知らずのうちに映っていた動画を見た際の、面白くも少しくすぐったい気持ちの確認として、このnoteを書いてみました。
きっと、これまで私が書いて来たブログの写真を見て、同じような思いをされた方はいるのだと思います(実はつい最近も初対面の方から「OKPさんのブログ写真に写ってたことがあります」と告白されたばかり……)。
そのことに気付くにはあまりに無頓着だったかもしれないと少々反省をしつつ、今後の撮影、アップする写真についても考えて行きたいと考えています。

余談ですが、同じ日の山行ではブログ読者の方から、何度か個人特定されて声を掛けて貰ってます。最近は慣れてきましたが、元々あまり社交的な方ではありませんし、山でも常に愛想がいいとは言えない私。映りこみなんて気にする前に、もっと気にすべきことがあるのかもしれません……?

今や小型ミラーレスもコンデジすら存在感は小さくない?【note】

(2020/03/18のnoteより転記)
「威圧感のないカメラ」
小型のミラーレスカメラやスナップシューター系のコンデジの宣伝文句の1つとして、割とよく使われる表現です。
確かに従来の一眼レフカメラやファインダーを内蔵した中型ミラーレス機と比較したら、それらのカメラはサイズは小さいですし、大きなカメラより小さなカメラの方が、存在感が小さいことは事実です。
言い換えれば威圧感を与えにくいカメラなのかもしれません。

しかしながら、現在のカメラの主流は圧倒的にスマートフォンガラケーカメラの時代を経て、人々の感覚は「スマホを向けられたら写真(や動画)を撮られているかもしれない」といったものになっています。
そんな感覚からすれば、スマートフォンより大きく存在感のあるミラーレス機も一部のコンデジですら決して目立たないカメラではありません。むしろ特別な存在感。

少し前のこと、よく訪れている飲食店にて、毎回パナソニックのGX7MK2を使って料理の写真を撮っていたところ、顔なじみの店の方から「大きなカメラのお兄さん」と認知されていたことがありました。私個人としては持っている中では最も小さく、目立たないカメラを使っていたつもりですが、お店の方からはそう見えていなかったようです。
その人も写真はスマートフォンでしか撮らないと仰ってましたっけ……。

今やカメラが小さかろうと、スマホだろうと、不躾に人にカメラを向けることが許される時代ではありませんが(昔だってそうだったはずですが)、小さなカメラを使うことで何かしらの免罪符があると感じてるならば、そんな感覚は少しアップデートしてもいいのかもしれませんね。

そのカメラ、意外と目立っているかも。

ブログを書いてみたいと言いながらまだ書いてない人【note】

(2020/02/06のnoteより転記)
長年ブログを書いているせいか、たまに「私もブログやろうと思ってる」「何を書けば良いのか分からない」など、相談のような雑談になることがあります。後はここ何年かで増えたのは、「ブログで収益化したい」とか「お小遣い稼ぎしてみたい」といったもの。

その場では一般論的なアドバイスや自分の経験を語ったりもするのですが、相手によってはもう少しストレートに伝えることもあって、それは「やりたいと言いつつ、まだやってないならそもそも向いてないのでは?」という身も蓋もないもの。
今はやりたければ人にアドバイスなんて求めなくても、いくらでも無料でブログなんて始められますし(オススメは「はてなブログ」だよ)、このnoteにしても最初に自己紹介的なエントリを書いてから、ものの5分で公開することができました。それぐらい「書いて発表する」行為はハードルが低くて、その気になれば誰にでもすぐできること。

ブログ以前の20年前からネットにアレコレを垂れ流し続けてきた人間のひとりとして思うのは、例え自分が何者でもなくても、文章が(写真が)上手くなかろうと、何かを書きたい(伝えたい)という衝動はそう簡単に抑えられるものではないということ。
「ブログをやりたいから何か探して書く」ではなく、「そもそも書きたいことがあって、“たまたま”ブログという手段があったに過ぎない」のですよね。

ブログ(ネット)ってそもそもそんな人だらけの場所ですし、そんな中で伝えたい欲求のない人が後から参加して、あまつさえは収益化とか小遣い稼ぎしたいといっても、さすがに難しいのでは?と(もちろんそれは個人の自由です)。
最初から収益を目的に始めるブロガーも今は多いのかもしれませんが、それこそ完全に「仕事」ですし、モノになるかの可能性を考えたら、下手なアルバイトよりも困難な道のりではないでしょうか。

書き続けることの適性はもちろん、サイト構築やSEO、各方面の知識まで考えたら、小さな事業をいちから起こすようなもの。しかもその先は、同じ目的を持つ多くのライバルに、収益なんて見向きもせずに書き続けずには居られないおかしな人間(失敬)たちがウヨウヨいる土俵なのですから。

書きたいことがあったら、まず気軽に始めて見る。続けられそうなら、可能な範囲で続けてみる。その中で適性のある人が収益化されることもある。それぐらいに捉えていた方が気楽だと思います。
一般論にするつもりはありませんし、あくまで私の認識ですけども。

全く容認できない、それなのに魅力的【note】

(2020/02/06のnoteより転記)
気軽なテキスト書きの場としてスタートさせていきなりそれかよ…… というのもありますが、頭の整理的に。Twitterでも書いたことと同じです。

昨日より騒ぎになっているFUJIFILM X100Vのプロモーション動画について。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20200205-00161880/

個人的にあのような写真の撮り方は全く容認できないし、実際に自分がされたらと想像すると相当腹立たしい。頭に血が上って暴力的な行動に出てしまうかもしれないし、実際はビビって何もできない可能性が高いけど。
間違いなくプロモーション目的にはそぐわないし、何より見せる必要のない映像だったと思います。

しかし、そんな写真家の作品を見て魅力的と感じてしまう自分がいます。

明らかに戸惑いや怒りを見せている人の表情。ストリートスナップ、キャンディッドフォトというジャンルの中でも相当に過激な撮り方だし、今では(恐らく過去も)社会通念上許されない行動で撮られたものだけど、そこから吐き出された写真に惹き付けられてしまう自分の心は、理性とは異なる反応をしているようです。
(ちなみにここまで過激ではない、それっぽい雰囲気のキャンディッドフォトがTwitterに流れてくると「盗撮乙」とそっとミュートするタイプの私です。それなのに何故……?)

それにしてもあんな過激で、危険で(撮る側も)、そして傍迷惑なスタイルについて写真家本人が「なんでこんな撮り方をしなきゃいけないのか分からない……」的なことを動画内で語っていたことが、妙に印象的でした。表現への執念というか、業の深さというか。

そして、そんな炎上間違いなしの映像をなぜフジフィルムがプロモーション動画に採用したのか、理解に苦しみます。あれは見せるべきではないシーンだと思ったし、仮に何かしらの問題提起を含むものだったとしたら、公開から1時間程度で梯子を外すように削除するのはあまりに覚悟がない。そもそも新製品のプロモーションで、そんな攻めた問題提起をする必要は全くないとも思うけど……。おっと、話がループしてる?

今回の炎上によってストリートスナップに対する、世間の風当たりは悪い方向に(見方によっては良い方向?)に進むことになりそうです。個人的にはキャンディッドフォトの類は益々衰退していく文化だと考えていますが、不用意にその潮流に手を貸してしまったように感じます。しかも写真文化や写真家を守るべきカメラメーカーが……。

場合によってはこれまではさほど問題視されてなかった、意図的でない写り込みや群衆写真についても今後より問題視する声が上がらないとも限りませんし、私自身も自分の写真の撮り方について見直す必要が出てくるのかもしれません。線引きなんてとても曖昧なものですから。

時代の姿を切り取って後世に残す手段は別に写真表現に限りませんし、世の中がそう動くならば仕方がないことだと思うものの、もう少し緩やかな動きの中で写真を撮っていたかったように感じます。無責任なこと言ってるな…… と我ながら思いますけど。